私は、美味しいものが大好きだ。
食べることはもちろん、作ることも大好き。
美味しい料理を食べている時は、おいしさを思い切り堪能したあと、どのように作られているかに意識が向く。
普段からこのように食べものと向き合っていると、自分でそれを再現してみたいという気持ちになるのは自然なことではないだろうか。
忘れられない味。志ぐれ亭で食べた【にしん飯】
今回、挑戦したのは志ぐれ亭さんの【にしん飯】。
しぐれ亭さんは、喜多方市にある築100年の古屋敷を移築した1日限定2組の宿で、じゃらんのクチコミは4.9という見たことない高評価を誇る宿。
宿泊で利用したことはまだないが、祝いの席で何度かお食事を楽しませていただいている。
地元の食材を使った郷土料理をはじめとしたお料理の数々が運ばれるコース料理は、どれも丁寧に作られていることが感じられ、建物の雰囲気、接客のレベルの高さと相まって感動すら覚える場所。
そんな絶品料理の中でも、志ぐれ亭で『名物』と謳っている料理が今回私が再現してみた【にしん飯】。
ほろほろ崩れるほど柔らかい、3日の手間ひまを掛けて干物から仕込むにしん甘露煮と、それを大根葉のご飯に載せた名物にしん飯
志ぐれ亭公式サイトより
初めてこの【にしん飯】をいただいた時からすっかりクセになってしまった一品で、コース料理の終盤に出されるごはんものではあるが、全て食べた後にもう1杯追加注文して食べてしまうほどのもの。
※この時、腹の容量メーターは気にならない”おまじない”がかかっている。
【にしん飯】を作るポイント※私調べ
さて、今回挑戦した【にしん飯】だが、志ぐれ亭さんの公式サイトにも記載がある通り、作り方は至ってシンプル。
干物のにしんで甘露煮を作り、大根菜を混ぜたごはんの上に乗せる。
という、文字で表せば簡単な料理だが実際はとても手が込んでいると実際に作って実感した。
にしんの骨
料理をする人ならわかる部分だと思うが、メイン食材のにしんの骨は本数が多くしっかりしている上に曲がっている。
また、干物状態の魚の骨は無理に引き抜こうとすれば簡単に身がくずれてしまう。
つまり、この骨を取り除く作業だけでも想像以上に骨が折れる作業になる。(両方の意味で)
この作業を実際に自分でやってみることで、志ぐれ亭の料理の丁寧さを実感できる。今まで一度たりともにしんの骨が気になったことはない。
にしんを戻す
次に、干物状態のにしんを料理に使う際、ポイントとなってくる”戻し”の工程、余分な脂分や内臓の取り残しなどそのまま固まっているため、下茹でして身を戻しつつ余分な部分を落としていく。
普通のお湯では臭みが残ってしまうため、茶葉で下茹でするのが一般的で、私は緑茶で行った。
実際、志ぐれ亭ではどのような戻し方をしているのか、元のにしんはどのような状態のものを使っているのかなど、疑問は絶えない。
甘露煮
そこから、しょうゆ、砂糖、みりん、酒といった一般的な甘露煮を作るための材料を鍋に入れ煮ていく。
志ぐれ亭さんの話では、3日間仕込みに時間をかけるとのことだが、さすがにそこまで時間をかけることができず、身が崩れないようとろ火でコトコト煮ては冷ますを繰り返して約1日味をゆっくり入れていった。
実際、3日間煮続け、身を崩さず焦がさず味を入れていくのは、至難の業だと思う。
大根菜
甘辛く煮付けたにしんと白米では、味が濃くなりくどくなってしまうことを避けるために白米に大根菜の塩漬けを混ぜる。この大根菜があるだけで、白米を口に運んだ時に一回口の中をさっぱりリセットできるのだ。
…と私は思っている。(これは、聞いた話ではなく、食べた私の感想)
他に、野沢菜を試してみたが、この大根菜が主役のにしんを邪魔せず、しっくりくる。
恐らく色々と試した中にあるこうした「答え」を知れるのは、お店で味わうことができる最大のメリットだ。
名店の味を再現して感じる作り手の”想い”
名店の味を再現してみると、それを作った料理人やレシピを考えた人の色々な想いが見えてくるから面白い。食べるだけではわからないものが、実際自分で作ってみるとわかってくる。
「わかってくる」というとおこがましいが、答えにたどり着いていないかもしれないが、こういう意図があるのではないか?と、想像するのが実に楽しい。
にしんと会津地方の関りは古く、保存・輸送技術が発達する前から腐りやすい内臓をとり乾燥させることで海から遠い会津地方でも食べることができたという。
そこから生まれた会津地方の郷土料理に『にしんの山椒漬け』があるが、時間がたったにしんの臭みを消す山椒と合わせることでおいしく食べれるというわけだ。
今回の甘露煮は別の発想で、時間をかけてゆっくり煮ることで、細かい骨なら柔らかく食べれるようになる。実際今回作った【にしん飯】は、子供たちも喜んで食べてくれた。
この点も、骨の多いにしんをおいしく食べるための知恵なわけで、料理の奥深さを感じることができる。
こういった名前も顔も知らない人たちが長い年月をかけて考えて出来上がった料理を味わい、実際に自分で作ることで、そうした”想い”を実感することができる。
これだから料理はやめられない。
これからもおいしいものをたくさん食べて、自分で作って「食」を楽しんでいきたい。
人間は、食べるために生きているのだから。